レビューのようなもの

映画・ドラマ・アニメ・漫画のレビューです。お気に入りの作品をつらつらと紹介してます。

第9回:ラブリーボーン


映画『ラブリーボーン』予告編

 

”『ラブリーボーン』(原題:The Lovely Bones)は、2009年のアメリカ・イギリス・ニュージーランドの合作映画(日本では2010年公開)。原作はアリス・シーボルドの小説『ラブリー・ボーン』。
1973年、雪の降る12月のある日のことだった。14歳のスージー・サーモン(魚の「サーモン」みたいな名前と彼女は言っていた)は学校から家に帰る途中、トウモロコシ畑の中に穴を掘って作った地下の隠れ家に誘い込まれた。そこで彼女は残忍にも殺害されてしまう。連続殺人の新たな犠牲者となったスージーは、その男を知っていた。それは近所に住む男、ハーベイだった。スージーは、天国から家族や友人、そして犯人の人生を見届ける。 ”(Wikipediaより抜粋)

 

 

NETFLIXで公開されていたが、現在ではAmazonプライムビデオで字幕版のみ公開中(2018/12/31で公開終了の模様)。

美麗な映像技術が特徴で、根強いファンがいる有名な作品だが、あえて言いたい。

 

こんなにも観ていて苛立った作品は初めてだ。

 

 

以下に作品のあらすじを含めて述べていきたいので、ネタバレを回避したい場合は先に作品を鑑賞して欲しい。

 

 

主人公の少女スージーが学校から帰る途中で近所に住む男に誘拐され、殺されてしまう。男は過去に住処を移しながら多くの少女を殺害してきた殺人鬼で、遺体を含めた証拠を巧妙に隠すことで誰にも見つからずに犯行を重ねてきた。

スージーの遺体も見つからない中、父親は犯人を見つける為に奔走し母親は心労によって家を離れ、家族が徐々に崩壊していく。

その様子を天国から見守っていたスージーは、不思議な現象によって父親に犯人を示すヒントを与え、父親は犯人の正体を確信する。しかし証拠が無いまま逮捕する事は出来ないので、密かに犯人を襲撃するために追跡するが、カップルに暴漢と間違われてボコボコにされてしまう。

そんな状況でスージーの妹が直感から近所に住む男が怪しいと睨み、男が留守の間に家へ侵入し、隠された手記を発見する。そこにはスージーの誘拐計画に関する記述と共に未だ遺体が見つかっていない彼女の毛髪が綴じられており、十分に証拠足りうるものだった。

帰宅した男に追いかけられるも、妹は逃げきることに成功し、男は警察に指名手配されることになるが、男は素早い判断で証拠となるスージーの遺体が保管されている金庫を埋め立てる寸前のゴミ捨て場に投棄しようとする。

実はスージーは殺害される前に付き合っていた彼氏がいたが、スージーの死後に落ち込んでいた彼は、スージーの同級生でやたら霊感が強い少女と仲良くなる。そして実はそのゴミ捨て場は少女の実家が管理している場所だった。

幽霊として少女の前に現れるスージーと、今まさに捨てられようとしている死体入りの金庫。そして物語はクライマックスへ…

 

 

独特の演出や疑問に思う部分もあるが、ここまでの展開はサスペンス映画として物凄く面白かった。

異常者の顔を巧妙に隠す犯人と真相を追い求めて疲弊していく遺族。そしてとうとう真実が暴かれ逃走し証拠隠滅を図る犯人と、すべての真実を知る被害者と彼女の声を聴くことのできる唯一の存在。

もうここまでくれば後は極上のカタルシスが待っているに違いない。誰もがそう予想した筈だ。

しかし、ここから物語は予想を裏切り斜め上の展開を見せる。

 

 

なんとスージーは霊感少女に憑依して、たまたま遊びに来ていたスージーの元彼とキスをする。そして心残りが無くなった彼女は、自分と共に現世の様子を見守っていた同じ被害者の少女達と共に天国へ向かう。

そして何事も無く証拠を隠滅した犯人はそのまま車で逃亡し、捕まることはなかった。

数年後、遠く離れた場所で懲りずに少女を狙っていた犯人は誤って崖から転落して死亡してしまう。

 

 

スージーが犯人について触れずに元彼とのキスを選んだ時、思わず「はあ!?」と叫んでしまった。

結局犯人は逃亡してしまったので、ここまで引っ張っておいてそれはないだろうと憤慨していたら、最後に申し訳程度の天罰を食らって男は死んでしまった。

 

観終わった後に残ったのは映画監督への苛立ちと虚無感である。

 

どうやら作品の意図としては、スージーは自身や家族が犯人への復讐に囚われて不幸になるよりも全て忘れて幸せになって欲しいと望んだ結果としてこのような展開になったらしいのだが、個人的には共感することができなかった。

確かに被害者自身が恨みを捨てるよう願ったのであれば、外野の人間が何を言おうとも無駄である。しかし、彼女自身がそれで納得して天国へ行けたとしても、残された家族や友人は素直に納得できるのだろうか?

スージーが天国から彼らを見守っていく中で、彼らなら納得してくれるだろうと判断したのかもしれない。しかし実際には、特に家族は犯人を取り逃がした後悔を抱え続けるだろう。もちろん犯人が逮捕され処刑されたとしても、それで恨みが完全に晴れるわけでは無い。結局のところしこりは残るのだ。

だからこそ懲悪とは別の道を提示したかったのだろうが、視聴者としてはクライマックスへの展開で生じたフラストレーションの行き場を絶たれた形となった。

 

 

結局のところ、スージーの決断に共感できるか否かで評価が決定的に分かれる作品だと言える。

そのため、合う人にとっては名作で、合わない人にとってはストレスの源となってしまう作品なので、物は試しに視聴してみるのもいいかもしれない。

視聴後については保証しないが。